過期妊娠、42週と43週でのお産。

予定日超過したり、妊娠42週の過期妊娠は、初産婦さんの方が経産婦さんより多いのですが、以前一月に3人も経産婦さんで、42週と43週でお産された方がいらしたので、お産の経過と感想をご紹介します。

以前ご紹介した、過期妊娠についてはこちらもご覧ください。動画でも詳しく説明しています。

過期妊娠、予定日超過、ゆいクリニック10年の統計、41週、42週、43週でのお産

過期妊娠、巨大児、予定日超過と42週でのお産

お一人目

今回のお産は3人目。出来るだけ自然に待ちたいとのことで、妊娠42週5日まで待ちましたが、陣痛が来ず、お産にならなかったため、42週5日の朝に入院。朝から子宮にバルーン(水風船のようなもので子宮口を広げて刺激する)を留置。アトニンという陣痛誘発のお薬を点滴。夕方から陣痛が来て。夜8時半にお産になりました。

お産の感想

私は今回でゆいクリニックでの2回目の出産でしたが、またここで出産できることをとても嬉しく思っていました。私は、3人目も他の2人の子供と同じように出産予定日の頃に産まれるだろうと思っていましたが、出産予定日が近づくにつれて、3人目も出産予定日の頃に産まれると思っていましたが、予定日になってしまいました。私は毎晩、陣痛を誘発するために歩き始めました。しかし、驚いたことに、イラナはまだ私の子宮の中でとても快適だったのです。フミ先生は41週4日の時点で誘発分娩の選択肢を話し始めましたが、私はまだ準備ができておらず、自然に陣痛が始まることを願い続けていました。
自然に陣痛が始まることを願い続けました。歩いたりしゃがんだりしても、陣痛が来ないのです。そこで、42週5日目に誘発を開始するため、ゆいクリニックを目指しました。朝8時過ぎを目標に、フミ先生の誘導が始まりました。午前9時にバルーン、午前10時にごく少量のピトシンを点滴で投与されました。助産師さんは1時間後の11時に次の量を追加し、12時には陣痛が来て自然分娩を続けました。午後6時頃から陣痛が強くなり、8時15分には赤ちゃんを押し出すことができました!結局、10時間弱という短い陣痛でした。初めての誘発を非侵襲的なものにしてくれて、本当に感謝しています。娘もここにいて、ゆいクリニックさんの穏やかな環境の中で、赤ちゃんとの貴重な最初の数日間を満喫してくれていることに感謝しています。

お二人目

今回のお産は4人目の方でした。前に出産した3人とも42週で誘発や人工破膜などしてお産しました。彼女は、今回は自然に待ちたいと希望されました。もし特に異常がなければ43週までは待ちたいと希望されました。過期妊娠で、胎盤機能の低下による赤ちゃんの状態悪化のリスクは翌理解されていました。妊娠43週になっても陣痛がなかったため、妊娠43週朝からプロウペス(膣に投与するプロスタグランジン薬)にて陣痛誘発を行いました。けれども有効陣痛を認めませんでした。妊娠43週1日朝からネオメトロ(子宮口を刺激して広げるバルーン)を留置しました。子宮口は7cm暗いまで開きましたが、陣痛が遠のいてしまいました。そのため、午後からアトニンにて陣痛誘発しました。そしてとうとう妊娠43週1日の夕方5時前にお産となり、無事に元気な赤ちゃんを出産されました。

お産の感想

ゆいクリニックさんの素晴らしいところをたくさん聞いていたので、沖縄で妊娠したとき、ここで産みたいと思ったのです。私は他の3人をアメリカで出産しましたが、すべて薬は使わないお産で、しかも3人とも42週以上で誘発分娩していました。今回、私はどうしても誘発を避けたいと思っていたのですが、フミ先生は決して私に誘発を強要せず、今回の出産に関するすべての決定に関与させてくれたので、本当に感謝しています。

自然に陣痛が来るようにあらゆる方法を試しましたが、43週でまだ妊娠していることがわかりました。43週まで来たら誘発する予定だったので、当日の朝、荷物を持って到着し、スムージーとサラダの素敵な(寂しい)朝食を食べた後、誘発を開始しました。プロウペスを使用してみたところ、終盤に陣痛はあったものの、まだ活発な陣痛は始まらず。翌朝7時、43週+1日目の私は再び入院し、誘発のプロセスを続けました。

次はバルーンにしましたが、確かに良い陣痛が始まったと感じました。担当の助産師はまりこさんで、私のすぐそばで、歩いたり、しゃがんだり、バランスボールに座ったり、呼吸を整えたり、さらには元気が出るようにしっかり食べるようにと、いろいろなことを促してくれました。お昼過ぎにバルーンが外され、7~8cmに子宮口は拡張されましたが、赤ちゃんの頭は破水するほど低くなってはいませんでした。エプソムソルト、ラベンダー、クラリセージを入れたお風呂に入り、とても気持ちよく、リラックスできましたが、残念ながら陣痛は弱まり始めました。

午後3時半頃、夫はしばらく3人の幼児を連れて私の回復室で待っており、母は私の陣痛をサポートしてくれました。でも、みんな疲れていたし、赤ちゃんが出てこないと困るので、アトニンというお薬で陣痛促進をしました。陣痛はすぐに再開し、規則正しく強くなり、いつの間にか移行時期が近づいていました。夫と子供が部屋の端にいる中、フミ先生が私の羊膜を壊し、フミ先生と数人の助産師さん、看護師さんが私を囲み、私の呼吸を助けて、赤ちゃんがおりてきて、いよいよ出産となりました。

最後は激しく揺れましたが、ようやく我が子を抱き、愛する家族と素晴らしいゆい・チームに囲まれ、とても幸せな気持ちになりました。子供たちは皆、娘に触りたい、キスをしたいと言い出し、たっぷり挨拶した後、夫が部屋に連れて帰り、回復室でスキンシップをとってくれました。

全体的に、陣痛誘発はとても優しく、急かされることもなく、誘発予定、陣痛、出産、そしてここでの数日の回復までのすべてのプロセスを通して、私が受けたサポートは、信じられないものでした。

私はまたすぐにでもここで出産したいです!私はゆいクリニックとその素晴らしいチームを強く推薦します!

ありがとうございます、ありがとうございます!♡

三人目

この方の経過はとても長かったです。陣痛誘発を開始してから、4日かかってやっとお産になりました。

  • 1日目、妊娠42週1日入院。子宮口にバルーン(水風船のようなもの=ネオメトロ)留置。陣痛無く、お産になりませんでした。
  • 2日目、朝からプロスタグランジンE2という内服薬で陣痛誘しました。でもあまり陣痛がなかったので、その後アトニンにて陣痛誘発しましたが、有効陣痛はありませんでした。
  • 3日目、プロウぺス(膣の中に入れるプロスタグランジンのお薬)使用。有効陣痛なし。
  • 4日目、妊娠42週4日、バルーン(水風船のようなもので子宮口を広げて刺激する=ネオメトロ)留置で子宮口を広げながら、アトニンにて陣痛誘発しました。夕方から陣痛が始まり、陣痛が始まってからは経過はとても早くて、18:16にお産お産になりました。3742gの赤ちゃんでした。

年の離れた、お姉ちゃん達もお産を立ち会いして、胎盤の見学も出来ました!

お産の感想

42週を迎え、準備していた自宅出産ができなかったこともあり、不満と疲れを感じ始めていました。そして、フミ先生のもとで誘発分娩の計画を立て始めました。私の中では、4人目の出産で、すでに予定日を2週間以上過ぎていたので、比較的早く終わるだろうと思っていました。ノアが無事に私の腕の中にやってくるまで、4日間の誘発期間を要したのです。助産師とフミ先生のチーム全員に、私がサポートされていると感じ、声を出し、できるだけ快適に過ごせるように、たゆまぬ努力と愛情をもって取り組んでくれました。私たちは午後6時16分に小さな女の子を迎えましたが、上の娘たちもちょうどこの体験に立ち会うために到着していました。へその緒を切り、胎盤を確認し、最初の数時間、新しい妹を抱くことができました。この経験は何にも代えがたいものです。ゆいクリニックに感謝します!

以上、42週で陣痛誘発を行ってお産になった方達のお産経過と感想をご紹介しました。

この記事を書いた医師

島袋 史 (ゆいクリニック院長)
  • ゆいクリニック院長
  • 島袋 史
  • Fumi Shimabukuro
  • 【資格】日本産婦人科学会専門医、母体保護法指定医、ホメオパシー認定医、新生児蘇生法インストラクター。1970年東京都生まれ、1989年大学入学のため沖縄へ。1995年、琉球大学医学部卒業。琉球大学産婦人科入局。沖縄県内にて研修後、2011年にゆいクリニックを開院。4児の母。小児科医の夫と共に、多くの女性の出産・育児を支援するほか、更年期や月経トラブルなど女性のための治療を行い、ホメオパシーや栄養療法やプラセンタ療法などの自然療法も積極的に取り入れている。特に、小麦や砂糖、乳製品、食品添加物を一切使わない食事をクリニックで提供するなど、食事療法の重要性を説いている。